ひんやりしていると期待していた床は、もったりと人肌にも似た温度を保っていた。四季がはっきりと感じられるこの島を、ロホは初めて疎ましく思った。
そんな床の上に構えたテントの中で、傍らにくったりと横になっている茉莉の髪を、ロホの太い指先が不規則に撫でる。魔女の仮面を外し、顔右半分の皺と白髪を晒している彼女の瞳は、死んだように――閉じられている。
この島では”よくあること”なのだろうか―
昨日のこと、行く手を阻む怪物達との戦いの中で、茉莉が怪我を負ったのだ。ロホとマヌの片割れは無事だったが、茉莉はそのままその場に崩れ落ちてしまった。
茉莉が怪我をすることが、ロホは悲しかった。
彼女に怪我をさせてしまった、彼女を守りきれなかった、という思いもある。だがそれ以上に、彼女が自分とは別の生き物であると、嫌でも実感してしまうからだ。
茉莉の細い二の腕に貼り付けられている包帯を解くと、大きなガーゼが現われる。そのガーゼの下には、うっすらと塞ぎかけた傷があった。ふさがりきらない傷口から液体がふつ、と漏れ、慌ててロホはそれを指先で掬った。
茉莉の血は、透明で、とろりとして、まるで花の蜜のようなのだ。
それは血ですらなく、蜜そのものなのかもしれない。
だから、怪我の治療方法も普通の人間とは異なる。花の蜜、ないしはそれに近しいものを傷に塗るのだ。ロホがいつも鞄に蜜を忍ばせているのは、彼が無類の甘党であるからというだけではない。
薬指でその蜜をわずかに取り、傷の上へ伸ばす。新しいガーゼをその上にあてがい、また包帯を巻く。傷の数は少ない。手足や腹の傷を手当し終え、ロホはほっと一息つき、彼女の傍らに尻を落ち着けた。
ふと、彼女の首筋に、浅い傷跡を見つけた。包帯を巻くほどの怪我ではない、ただの引っかき傷である。ロホは指を伸ばして、そこから滲む透明な水の玉を掬い取った。
無意識に口に運ぶ。
甘い。
それは、人が作った甘ったるさではなく、自然が生み出す甘みだった。さらさらとして舌に残らず、そのくせ風味が口の中に広がる。
吸血鬼が人を見る時はこんな気分なんだろうか。
少し自己嫌悪に陥りながらも、ロホは茉莉の上に覆いかぶさり、その首の傷に舌をあわせた。それは以前茉莉が推奨した治療方法でもあったし、そのこともあって彼の罪悪感はわずかだが払拭された。
舐めとけば治るのよ―
ウン、と茉莉が目を覚ましたので、ロホは顔を上げた。つい、つまみ食いがばれた子供のような顔をしてしまう。茉莉はそれを知ってにこりと笑う。彼女からしてみれば、満足するまで舐めてていいのに…といったところだろう。
「ごめんな」
その謝罪には、守れなかったことと、先ほどのつまみ食いの2つの意味が込められていた。茉莉はいいのよ、と言い、ありがとう、と言ってまた笑った。どうやら怪我は大丈夫そうなので、ロホは安心してまた彼女の髪を撫でた。
妻を食べる、などという考えは浮かばない。
ただ、彼女を「美味しい」と思ってしまう自分がいて、それはやはり自分と彼女が違う生き物だということを示しているように思えてならなかった。
自分も彼女と同じ生き物になりたい、同じ体になって、同じ時間を生きたい――
でも、多分これ以上望むのは傲慢というものなのだろう。ロホは彼女の手に頬を撫でられたので、その指先に誘われるまま、その隣にころんと寝転がった。
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