(見慣れない字が躍っている。多分読んでもどうしょうもなさそうだし、長い―)
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さて、また大分日があいてしまった。
あそこを出てどれぐらい経ったろう?
過ぎ去った場所は覚えているけれど、時間となると話は違ってくる。
俺の一部ともいうべき旅の道連れは、俺のとる針路に文句も言わず、にこにことあとをついてくるだけなので、多分彼に聞いても尚更わからんだろう。
何年も経った気がするし、まだ何日かしか経ってないように思える。
時間の感覚と言うのは物に残すことが難しいってぇのはわかっているつもりだが、やっぱりどうにかして繋ぎとめておきたいと思う。
いつかどうかして見返したり、振り返ったりしたときに、俺の中を時間がどれだけ過ぎ去ったか記しておくことはきっと大事なことになると思う。ましてや俺や識のような体(もしかしたら識だけかもしれないが、まあ楽観的に書くこととする)だと、過ぎ去るばかりの時間だらけなわけだ。つまり未来は過去ってことになる。イコール過去を記すことは未来に思いを馳せることと同様なことになるのではないか?
俺たちがたどり着けない未来(未来、という言い方は可笑しいかもしれない。未来というのは希望とか夢をはらんだ楽しい言葉ではなく、いずれやってくる避けられぬ事態、つまりは今日にとっての明日であり、明後日に対する明々後日であって、下流に棲む魚にとっての上流からの栄養を含んだ流れであって、流しそうめんでもある。とにかくそういったものだ)はないわけだから、途切れることの無い流れに飲まれないように過去のことを自分の後ろに積み重ねて土台にしておかなければならないと思う。
さて、そう思ったところでどうやって時間というものを記す?
日付ではだめだ。日記の右端、ないしは右下、誰かへ当てた手紙の「愛をこめて」のあとに書くやつでもだめだ。日付は時間ではない。
何分かごとに日記をこまめにつけるというのはどうだろう?つまりは日記ではなく゛時記゛だ。なかなかかっこういい気がする。
たとえば今時記を書き始めるとして、始まりは0:00:00になるだろう。今日の夜、自分の料理の腕に感心して、それを食べる識の顔がいよいよすてきに思えたらば、きっと俺はそれを残そうとペンをとるだろう。それを時期を書くとするなら、22:49:33とかになる。明日の朝、朝日の美しさと冬のぴりりとした空気と、それでも布団から這い出せないでいる亀みてぇな俺のことを惜しまず書こうと思ったなら、時記は37:07:21とかいうことになる。本音を言えば日付なぞ書きたくはないが、後から見返して面倒くさいと思われるので、そっと日付は入れようと思う。けれどもやっぱり時間やらの累計数字にすることによって、俺たちが(そう、俺たちが!)どれだけ運良く生きていられたかってことを伝えることになると思うんだ。勿論俺たちに、だけれど。
前までは俺の日記は誰かのために書いていたけれど、今はきっと誰のためにも書けないと思う。彼の言うことを信じるとするならば―俺は不死身であって、俺は彼に生かされており、その逆もまた然り、というわけだから、俺が死んで誰かがこの時記帳を見るなんてことはないわけだ。見るとすれば彼ぐらいのものだろうけど、彼のために書こうなんざ思わない。ちょっとのリップサービスも含まれない俺の時記帳なんて彼にとっては面白くないと思う(見せない、という問題とはまた別のことになる。彼のものは俺のものだが、俺のものはほぼ彼のものになりつつある)。
ということで今日から今この時から俺の素晴らしい時記帳が開始されることとなった。何かあるたびに時記帳につけて、たまに見返してほくそ笑むことを考えただけでもほくそ笑める。きっと識の奴はそれを見て「ぁに笑ってんだよ、見せろ」とか言いだすだろうが、俺は見してやらないのだ。けれども俺たちが仮住まいにしているボロテントの中には隠し場所なんてないから、ひどく容易に彼は俺の時記帳なんかを盗み見れるだろう。俺も見せたくないなんて思っていないわけだから(見せてと言われると見せないし、やってくれと言われたらやってやらないが、するなと言われたらしたくなる、という病気に俺はかかっているのだ。困ったことに生まれた時から!けれども素直で必死な懇願には俺は全力を尽くしてそれに答えようと思う。ようするにサービス精神旺盛っていうことで、意地悪というだけの印象を俺は払拭しようとここでちょっと努力してみたりする)、そうする彼の仕草は見てみないふりをするし、あとで「見やがったな!」と意地悪いことを言って苛めてやることもできる(と、俺の努力はここで泡と帰す。嘘を吐けぬ男ということで印象を是非あげていただきたいがどうだろうか)。
さて、記念すべきこの時記の1ページ目を何で始めようか。割と重要なテーマであるが、困ったことにもうこの時記としようと思っているノートの2枚目の終わりぐらいにペンが進んでいる。これはゆゆしき事態であると思うんだけれども、多分今後の執筆活動においてあまり支障はきたさんと思うので深く考えないことにしよう。とか言っているうちに3ページ目だ。俺の字がでかいのと書く勢いが激しいことが要因であり敗因だと思われる。
カンワ休題、とりあえず題材を探そう。最初なので最近あった伝えたいことをぽつぽつと書いていこうと思う。かわいい犬の尻を見た、とかそういうのだ。
ちょっと前に立ち寄った店のウェイトレスのストッキングの穴の破れ方が非常に可愛く(不恰好なハートマークをしていた)、そのことを彼女に伝えたらスグにストッキングを代えられてしまったときがあったな。あれはちょっと勿体ないと思った。
どこかの酒場で識と酒を飲んでいたとき、識がラベルを気に入った酒瓶があったのだけど、旅の邪魔になるからそんなの置いていけ、と言ったことがある。あんときの微妙にぶすくれた表情が、転んでアイスを落とした子供みたいでかわいいと思った(そのうえ、その表情のまま「わかってる」とか言いやがったのが、俺はなんとも気に入った)。
それから、旅先での様様な誤解。いや、まあ、俺も悪い。けれども人の想像力ってのは恐ろしい、想像力は創造力でもあって、それを口にするだけで想像が創造になり、つまりは現実になる(現実、とみなされる)可能性を孕んでいる。そのことをわかってない奴らが多すぎると俺は思う。
脳の境界線は脳みそや頭蓋骨ではなく、口や舌先、もしくは指先であると俺は思っている。
歳を食うと説教じみてくるのがいけない。
こんなの(こんなの、という言い回しを許していただきたい、俺の素敵な時記帳よ!)を見るのは、何度も言うようだが俺か識ぐらいのもんである。
俺自身や俺の大先輩である識に説教をかまして何になる?
誉められるのならあいつの前でいろいろと嘯いてやろうとは思うけれど、こんな隠れた所でぶつくさ言うもんじゃない。ちょっとかっこわるいじゃないか。
あとはそうだな、ヨルが死んだこと。
星降る夜、というのがあるが、その晩は月落ちる夜、とでも表そうか。
といっても大分前の話だし、そんなに感慨深い話でもない。もう思い出話となりうる時期だ。ひどい死に目でもなかったし、つまるところ彼はいい死に方をしたといえる。文字通り俺たちの糧になり、あの黒い艶やかな毛皮は俺の体を覆ってくれている。俺の目指す(もしくは目指していた)死に方であり、ちょっと憧れもしたが、俺にはその感情は今は危険だ。ひたひたと奴の呪術を感じる。足元からじわじわと染み込んでくる感じがする。俺はひとつのクッキーになって、識に先をつままれて、牛乳に浸されてはやがて齧られる、ことを繰り返すイメージだ。勿論俺はこれを非常にいい気持ちだと思うわけで、まあ悪くはない、というやつだな。牛乳好きだし。齧られるのもある意味好ましい。
でも、たとえば俺のこの時記帳が、識と共通のものになったらどうだろう?意外と楽しそうだと思った。
交換日記とか、そういうおままごとではない。ただお互いが「あっ」って思ったイイコトを、それに出会うたびにこのノートに記す。「あっ」って思う部分はきっと異なるだろうし、たまに重なったりすることがあるわけで、つまり俺がそれを開こうとすると、彼の「あっ」が書かれているかもしれないし、もしかしたらノートの取り合いになるかもしれない、というわけだ。要するに共有ノートだ。
しりとりなんかも幼稚であって、しかし基本的でいい。それこそ交換日記なんかになりかねないが、結局のところそれでもいいかもしれない。
何で俺がこんなに遊びに必死なのか?自分ではよぅくわかっている。
さっきも言ったとおり、俺たちには尽きることの無い、過ぎ去る時間ばかりが用意されている(用意したのは紛れもなく自分自身である、俺の場合は)。そんな中で退屈しないなんて保証はないし、退屈するということはお互いがお互いに退屈するということだから、ようするに俺は退屈したくないし、勿論我らが六識様には退屈していただきたくないのだ。俺は彼に娯楽を提供するのが退屈しのぎになるし、きっと彼も俺の退屈しのぎに付き合うことが退屈しのぎになってくれると信じている(そうでもないとやってられやしない。生きることですら放棄してやりたくなるね、実に!)。
何が言いたいかというと、読んでやがるんだろう?識よ。暇してやがるな。
はっきり言って俺はこの時記帳を続けていく気にはなってやしない。やる気はあるがやりつづける気にはならんというわけだ。きっと「あっ」って思うことがあるたびに文字に書き付けるだなんて無理な話だし、俺の「あっ」とか「おっ」とか「わぁっ」とか「すげぇっ」とかがやたらめったら多いことはお前の知ってる通りだ。下手したらものの三日でこの安っぽい帳面は埋まってしまわんとも限らない。そうなった場合、死ぬまで生きることになっている(正しいがひどく矛盾したセリフだと思わねぇか)俺たちにとって、何年か後には非常にうっとうしい存在になるだろうってのは容易に想像できるってもんだろう。お前なんかぺしゃんこだろうな。
また脱線した。多分俺は照れてるんだろうかな。たいてい照れて喋るってなるとこうなる。よく言いたいことが出てきやしないんだよ。何に照れてるかはわからねぇけど。
ようするに、俺はお前に退屈していただきたくねぇってことだ。何べんも言っているけどね。悪酔いの結果がこのどうしょうもない散文だとしたって責められまい?
このノート(もう時期帳などと言うものか)はお前にやる。これを捨てたっていいし、あれみたいに大事に持ってたって俺は気味悪がらないでやる。時記帳を書こうと俺に誘ってくれるなら俺は矛盾などかまわず喜んで書いてやるだろう。お前の何冊目かの雑記帖にしてもらうのも俺はうれしく思う。ようするにこれがお前にとっての暇つぶしになるのなら、俺はなんでもいい。
大分長くなってしまったけれど、まとめる気もないまま俺はそろそろ寝る。おやすみ。
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